日本書紀 髪長媛
(かみながひめ)

作者名  
作品名  日本書紀 巻10 応神天皇11年乃至13年
成立年代  
 その他  『古事記』中巻応神天皇記にも、同じ話が載る。
(11年)是歳、人有りて奏(まう)して曰(まう)さく、「日向国(ひむかのくに)に嬢子(をとめ)(はべ)り。名は髪長媛。即ち諸県君(もろがたのきみ)牛諸井(うしもろい)が女(むすめ)なり。是、国色之秀者(かほすぐれたるひと)なり」とまうす。天皇(すめらみこと)、悦びて、心の裏(うち)に覓(め)さむと欲(おもほ)す。
十三年の春三月に、天皇、専使
(たくめつかひ)を遣して、髪長媛を徴(め)さしむ。
秋九月の中に、髪長媛、日向より至れり。便ち桑津邑
(くはつのむら)に安置(はべ)らしむ。爰(ここ)に皇子(みこ)大鷦鷯尊(おほさざきのみこと、後の仁徳天皇)、髪長媛を見たまふに及(いた)りて、其の形の美麗(かほよき)に感(め)でて、常に恋(しの)ぶ情(みこころ)(ま)します。是に、天皇、大鷦鷯尊の髪長媛に感づるを知(しろ)しめして配(あは)せむと欲す。是を以て、天皇、後宮(きさきのみや)に宴(とよのあかり)きこしめす日に、始めて髪長媛を喚(め)して、因りて、宴の席(ゐしき)に坐(はべ)らしむ。時に大鷦鷯尊を撝(め)して、髪長媛を指(さししめ)したまひて、乃ち歌(みうたよみ)して曰(のたま)はく、
いざあぎ(吾君) の(野)にひる(蒜)(摘)みに ひる(蒜)(摘)みに
(吾)がゆ(行)くみち(道)に か(香)ぐはし はなたちばな(花橘)
しづえ
(下枝)らは ひと(人)みな(皆)(取)
  ほつえ
(上枝)は とり(鳥)いが(居枯)らし
みつぐり
(三栗)の なかつえ(中枝)
  ふほごもり あか
(赤)れるをとめ いざさかばえな
是に、大鷦鷯尊、御歌を蒙(たまは)りて、便ち髪長媛を賜ふこと得ることを知りて、大きに悦びて、報歌(かへしうた)たてまつりて曰(まう)したまはく、
みず(水)たまる よさみ(依網)のいけ(池)
  ぬなは
(蓴)(繰)り は(延)えけくし(知)らに
ゐぐい
(堰杙)(築)く かはまたえ(川俣江)
  ひしがら
(菱茎)の さしけくし(知)らに
(吾)がこころ(心)し いやうこ(愚)にして
大鷦鷯尊、髪長媛と既に得交(まぐはひ)すること慇懃(ねむごろ)なり。独(ひとり)髪長媛に対(むか)ひて歌して曰はく、
みち(道)のしり(後) こはだをとめを
かみ
(神)のごと きこ(聞)えしかど あひ(相)まくら(枕)(枕)
又、歌して曰はく、
みち(道)のしり(後) こはだをとめ
あらそ
(争)はず ね(寝)しくをしぞ うるは(愛)しみも(思)
 
 詠いこまれた花   ヒルタチバナクリジュンサイヒシ



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